田辺市中辺路町真砂の清姫堂が全焼し、安置されていた本尊薬師如来坐像、清姫坐像などが焼失しました。放火の疑いもあるもようです。→紀伊民報2008年7月29日記事写真は一昨日、出張の途中に現場に立ち寄った際に撮影したものです。守ってこられた地元の皆様の心中、察して余りあります。道成寺縁起は、安珍と清姫を巡る物語ですが、このお堂のある真砂(まなご)が、安珍と清姫が出会う地です。清姫は真砂の庄司の娘として登場し...
「民衆は陰惨な怨霊面を道化の面に変え、陰を陽に変え、悲しみを笑いに変えていった。底抜けに明るい大きな力を持っていました。顎を持って無造作に着脱したといえば粗末な扱いと思うでしょうが、この面を裏側から見ると、眼のところが大きく破損している。それを丹念に、裏側に別の木を貼り付けて修復している。表から見るとまったく判りません。破損した所を心をこめて修復してきたところに民衆の仮面に対する気持、しかも陰惨な...
「現在の像名比定は、墨書銘における像名記載順や担当仏師の序列を無視し、兄弟という関係性のみに拠った極めて曖昧なものである。奈良時代には無著よりも世親を老相にあらわしていて、十三世紀に制作された法相曼荼羅にもその伝統が受け継がれていることから、北円堂が再興された鎌倉時代においても世親を老相にみるのが一般的であったと考えられる。墨書銘における像名記載順、担当仏師の序列、再興当時における無著世親の年齢表...
昨日痛めた背中がつらいので、整形外科へ。朝一にもかかわらずおじいちゃん、おばあちゃんでいっっぱい。当然予約もしていないので1時間30分待って、レントゲン撮影に3分、診察に3分・・・。筋肉の挫傷のようで、湿布貼ってもらって終わり。一週間たっても痛みが引かなかったらまたおいでとのことで、大量の湿布薬を処方されました。今日は、出身大学院の博士後期課程設立10周年記念研究大会で、恩師も講演を行うので出席する予...
担当の企画展「奇跡の仮面、大集合」(和歌山県立博物館主催、紀州東照宮後援、NPO和歌の浦万葉薪能の会協力)、準備万端整いました。詳しくはこちら→企画展「奇跡の仮面、大集合!―紀州東照宮・和歌祭の面掛行列―」あるいはこちらも→「ウラ話オモテ話」(和歌山県立博物館ニュース内)予算はゼロの企画展ながら、博物館友の会会員のご支援で図録を作成、本日無事納品されました(友の会内に図録刊行会を組織。会員から出資者を募...
博物館経営論の講義(帝塚山大学)でのアンケート第12弾.。公開する最後のアンケートです。 ?あなたにとって博物館(美術館)とは何か。 ?博物館(美術館)は誰のためのものか。 この二つに答えてもらいました。 ・?知ってはいるのになかなか行かないちょっと遠い場所。?一言でいうなら興味を持って来てくれる人のため・?心の隙間を埋めてくれるように思わせる。?民衆。・?出会いの場所。?求めるすべての人のためのもの。・?...
仏像鑑賞に興味を失いつつある子。サビシイ…(-_-)。それでも博物館を好きでいてもらうために、普段行かない館種にも挑戦してみようと、奈良県の橿原市昆虫館へGO!。なんとかオオカブトムシとか、世界最大の蝶とか、最大の蝉とかの標本に子の反応もよいようで、よかったよかった…(-_-)。大温室にはきれいな蝶が数知れず飼育されており、体のまわりや視界の中で数十匹舞い踊っているさまは、まさにパラダイス。浄土ヘノ旅ニ出デニ...
「そのなかにおいて寿昌寺の如意輪観音像は、康永三年の記年銘作品であること、湛康門流と考えられる仏師幸心の名を記すことにより、重要な位置を占めている。また、熊野信仰や天台の説話と結びつき、海の民、松浦党志佐氏の海洋信仰の対象となっていたことを知ることができた。印象的な対外交流の陰にかくれ、あまり顧みられることのなかった当地の国内文化の側面をみせることは意義深い。」(竹下2008、39頁)竹下正博「肥前松浦...
博物館経営論の講義(帝塚山大学)でのアンケート第11弾、「あなたの博物館(美術館)のキャッチコピー」。博物館(美術館)職員になったつもりで。以下回答の50音順に列記します。・あなたの知らない世界へ誘う博物館。・あなたの見たいものがここにあります。・あの日、あの時、あの場所のあの人と出会う。・一度足を運ぶと、倍以上の発見が貴方を待っています。・今、新たな発見と驚きに出会える。・来るたびに見つかる○○博物...
「一〇一一年を上限とする一〇二〇年頃までに伐採された用材であるという善勝寺千手観音立像の年輪年代調査の結論は、今までに美術史の立場から行われてきた十世紀後半から十一世紀はじめの過渡期に属するという見解とも矛盾しない。結果、善勝寺千手観音立像の制作時期を、一〇一一年を上限とする一〇二〇年代頃までに絞り込むことができた。」(「三、善勝寺千手観音立像について 考察編」(執筆松岡)、光谷・大河内・児島・佐...
「縁城寺も西国巡礼の盛行等、寺院の霊場化の流れに乗り、本尊千手観音の霊験を伝え伽藍の復興に結びつけていたと考えられます。」(小山2008・525(45)頁)小山元孝「15世紀縁城寺の勧進活動」(『太邇波考古』25・26合併号、2008・6)両丹考古学研究会『太邇波考古』25・26合併号をご恵贈いただきました。縁起が持つ豊かな世界感を、地域の歴史を眺める資料として積極的に用いるためにも、縁起の再生産が積極的に行われた15?16世...