次の玉稿を頂戴しました。「宝冠・胸飾・臂釧といった細かな金属製荘厳具に至るまで、その意匠考案は仏師が行い、その意匠案に基づき、金工工人が制作に当たったこと、またその金工工人は、必ずしも造像において確固たる位置付けを有していなかった点を再確認するとともに、特定の仏師集団と堅く提携するケースもあったことを想定した。」(三本2010、79ページ)三本周作「鎌倉時代前・中期における仏像の金属製荘厳具―意匠形式の...
奈良国立博物館・特別陳列 おん祭と春日信仰の美術(12月7日?1月16日) 車の点検やら、お見舞いやらを済ませて、子を連れて奈良博へ。恒例のおん祭展。今年は金春家伝来、東博所蔵の能面や能装束を取り上げて、おん祭の猿楽(能)にスポットをあてる。天下一是閑(出目吉満)の増女、曲見と熊太夫作銘がある若曲見のセレクトは渋い。熊太夫は15世紀の面打だが、それにしては若曲見は様式としての完成度が高い。能面の様式展開...
藤田美術館・季節を愉しむ? 秋?新春の美術(9月11日?12月12日)所蔵の優品をセレクトして展示。奈良・永久寺真言堂旧蔵の両部大経感得図(国宝)のうち龍猛図、追儺面赤鬼・青鬼(平安時代)など。法眼快慶の銘と開眼行快の銘を持つ小さな地蔵菩薩立像(重文)をじっくり。当初の彩色・キリカネが良好に残る。光背も当初。着衣のうち、吊り袈裟の紐を別材製(銅製?)とするなど、細部まで丁寧な作り。興福寺旧蔵の由であること...
「平氏政権もまた、既存の宗教体勢を揺さぶり後白河院政を否定するなど、後白河や既存の権門自院の立場からみれば、王法に従わず仏法を害する「ワロキ臣下」であった。後白河が聖徳太子の後身として自らを聖徳太子の立場に重ね合わせ、乱世の状況を聖徳太子の物部守屋討伐に重ね合わせるのは、まさにこのような思考によるものであろう。後白河院の御祈で中台に描かれた観音は、聖徳太子に重ねあわされた後白河自身であったといえる...
備忘のための読書記録、2010年11月分。学術論文は除く。発行年月日は初版のもの。梅棹忠夫『情報の文明学』(中央公論新社、1999年4月)山路興造『中世芸能の底流』(岩田書院、2010年10月) 【観仏三昧 仏像と文化財の情報ページ 】-全国の展覧会や仏像の公開情報が満載!-...