観仏三昧的生活のこぼれ話とミュージアムや文化財に関するトピックス。
和澄浩介「平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像にみる定朝工房の諸相」(『佛教藝術』305、2009年7月)このように本群像を眺めてみると、天喜元年時点は一面では画期的であったと言えるかもしれない。すなわち、独自の造形感覚を発揮しながらも、十世紀半ばから徐々に現れはじめた古典復古の意識を一気に加速させた定朝や、その継承よりも新しい時代に即応することに意を注いだ長勢・覚助といった、方向性の異なる仏師たちの混在した時期であった。(和澄2009、83頁)
?上野友愛「「清水寺参詣曼荼羅」の空間構成―<塔>が果たす役割―」(『絵解き研究』22、2009年3月)窓を開き、内部を覗かせる。しかし、人影を見ない茶屋。主の来訪を待ちわびるこの表現より「清水寺参詣曼荼羅」の享受者層を推測するならば、本図が、庶民のみに向けたものではなく、当初より、成就院の勧進顧客とでもいうべき公武の上層階級を享受者の一端に想定し、制作されたものである可能性を提示することができよう。(上野2009-?、39頁)
阪本敏行「寿永二年・三年・元暦二年における熊野別当家関係者と周辺の人々―「僧綱補任」岩瀬文庫蔵本考察を一連の考察の終論として―」(『和歌山地方史研究』57、2009年8月)この結果、特に個々の物語の古態性が高いとされている『延慶本平家物語』に描かれた「熊野新宮合戦」に登場する本宮勢力のリーダーとされる「熊野別当覚応法眼」なる人物がその名前では実在しておらず、架空の人物か別人の書き誤りであることがほぼ明確になった。(阪本2009、48頁)
Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。
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