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大峯山寺戸開け式

 5月2日・3日、大峯山寺の戸開け式に参加。奈良県立橿原考古学研究所長・菅谷大先達に率いられ、学峯講の一員として、初の峯入り。
大峯2010?1
10時過ぎに橿考研を出て、天川村泥川に入り、女人結界門そばの茶屋で昼食を済ませて、いよいよ峯入り。
大峯2010?2
 順調に登り、一ノ瀬茶屋、一本松茶屋、洞辻茶屋と超えて、最初の行場、鐘掛岩をよじ登る。命の重さを自らの手に感じる。
大峯2010?3
 そして西の覗き。戸開け式前ではあったが、いあわせた先達たちが倉庫を開けてくれて、行ができることに。勇んで新客の先頭きって縄を肩にかけたものの、先が断崖となった斜め斜面にうつぶせになった途端、あまりに尋常でない状況と光景に体が防衛反応を起こす。前で合掌しろと言われ、こわごわようやく手を岩から放す。お、落ちる?。断崖から半身を乗り出し、山の先達の問いかけの後、縄が突然ずるりとゆるめられる。何十年ぶりかで、心の底からの悲鳴。
 終わってから他の人のを見てると、山先達2人がちゃんと両足をつかんでくれている。見ないでやってよかったかも。擬死再生を、きちんと実感できたので(強がり)。
大峯2010?4
 山上に到着し、龍泉院の宿坊に荷物をおいて、裏行場へ。胎内くぐりや蟻の門渡りなどを超え、平等岩へ。断崖絶壁の岩の頂点を、自らの腕で体を支えてぐるりと回る。
大峯2010?5
 裏行場を巡ると、大峰山寺本堂のちょうど裏に出てくる。湧出岩にも参拝。
大峯2010?6
 宿坊に戻り、夕食。電灯もない廊下の脇の狭い屋根裏に8人がすし詰めになって就寝。夜中2時頃起き出し、あまりの寒さに持ってきた全部の服を着込んで戸開け式へ。
大峯2010?7
 3時から鍵渡し式が行われ、護持院より講(岩講など8つあり、それぞれ修験者の集団)に鍵が渡され、般若心経など唱える。渡された鍵(3つ)を肩車された人物が掲げ左右にふりながら境内を練り歩く。
大峯2010?8
 いよいよ戸が開けられ、本堂内になだれ込む。内陣へある程度の人数ずつ入れられ、本尊(秘仏)参拝し、堂裏の秘密の行者(役行者像)を拝観。等身大を少し超える、大きな像。中世に遡るか。般若心経を唱え、さらにもう一体の行者像前でも般若心経1巻。宿坊に戻り、少しだけ仮眠して、5時前には朝食。
大峯2010?9
 山上を5時30分に出立し、本堂の梵鐘(奈良時代)を見て、下山しはじめる。真言宗系修験における聖地であった小笹宿で般若心経1巻。ここは沢があり、水が豊富。一団の半分はここで泥川へと引き返し、残りは笙の窟をめざす。しばらく歩いて女人結界門を出て、大普賢岳に登山。山頂ではるか弥山への稜線や、熊野の山並みを望んで、いっきに山を降っていく。要所要所では鎖や足場が設けられている。
大峯2010?10
 笙の窟に11時ごろ到着。断崖絶壁の最下部がえぐれ、大きな空間がある。冬に行者が籠もったところ。般若心経1巻。湧き水で喉をうるおす。発掘時のお話をいろいろ聞き、もとここに安置されていた銅造不動明王立像(天ケ瀬組所蔵、県指定文化財)の史的位置づけの大きさを実感。休憩後、和佐又へ下山。和佐又ヒュッテで、春の香りに満ちあふれた山菜うどんをおいしく食べ、帰途につく。途中川上村の入之波温泉で疲れた体を癒し、食堂でシャレで山菜うどんを頼んだところ、失敗。橿考研へ14時30分頃着。名残を惜しみつつ解散。

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
・平城遷都1300年記念春季特別展 大唐皇帝陵展
(4月24日?6月20日)
 いかねばと思っていた大唐皇帝陵展を鑑賞。恵陵出土の跪拝俑をじっくりと見る。彩色壁画も、よく持ってこれたものだと感謝。第一室の恵陵の青龍・白虎の巨大模写も大迫力。普段の常設展示室を1室分撤去して、展示空間を広げており見応えがある。常設展示室の弾力的運用は、これからもテーマによってぜひ継続してもらえるとありがたい(派生する諸問題もよくわかるけれど)。図録あり(200頁、1500円)。

観仏三昧 仏像と文化財の情報ページ
-全国の展覧会や仏像の公開情報が満載!-

和歌山県立博物館
特別展 移動する仏像 ―有田川町の重要文化財を中心に― 2010年4月24日?6月6日
【移動する仏像展日誌】

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大河内智之

Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
仏像の研究者です。
奈良大学の教員だったりもします。

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