観仏三昧的生活のこぼれ話とミュージアムや文化財に関するトピックス。
關信子『千手山弘法寺踟供養』(千手山弘法寺踟供養推進協議会編集・発行、2005年11月)「平安・鎌倉時代の資料は、来迎を演じる阿弥陀について多くの事実を語っているが、情報は断片的なので、弘法寺踟供養によって、実際に阿弥陀が登場する法会本来の姿を目にすることができる意義は大きい。」(關2005、65頁)
中尾堯「日蓮宗初期の本尊勧請―造像の記録をめぐって―」(『立正大学大学院仏教学研究会仏教学論集』27、2009年3月)「初期の日蓮宗寺院における本尊の勧請について、伝来する造形物と記録とをあわせて考察してきた。鎌倉時代の末期から南北朝期にかけて、十四世紀における日蓮宗の造形活動はまことに盛況を呈していた。宗門の物的な基礎は、この時期に整ったといえる。」中尾2009、11頁)
1 吉村旭輝「日光東照宮御神忌祭と田楽法師―変容する祭礼と芸能者の交渉史―」(日次紀事研究会編『年中行事論叢―『日次紀事』からの出発―』所収、岩田書院、2010年3月)「(前略)畿内からの出張参加という極めて特異な参加者であった田楽法師をとおして、祭礼への参加者が神社の管理体制の変化のなかで、どのように翻弄されていったのかという様を概観したい。」(吉村2010-1、314頁)
山口隆介「大報恩寺六観音像に関する一考察―十一面観音像と聖観音像における模刻の問題を中心に―」(『待兼山論叢』42(美学篇)、2008年12月)「本稿では、大報恩寺六観音像のうち、これまでほとんど注目されることのなかった十一面・聖両観音像に焦点をあて、様式的及び形式的特色について検討を進めてきた。その結果、両像は古像の再現を意図したような表現を随所に取り入れていることが明らかとなり、その制作において範となる特定の古像が存在した可能性が想定された。」(山口2008、62頁)
福原僚子「近世土佐の造像と仏師について」(高知県地域文化遺産共同調査・活用プロジェクト編『高知県社寺文化財総合調査報告書』(高知県教育委員会、2004年3月)所収)「本県では松山仏師や阿波仏師といった地方ならではの仏師たちの活動も目立っており、また大阪仏師の活発な活動や少数ながら土佐仏師の存在も注目される。今後調査対象を四国地方全体に広げ、個々の作例をより細やかに検討していくことで、地域の民俗や宗教、歴史などに新たな側面を見出せるのではないだろうか。」(福原2004、89頁)
Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。
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