次の玉稿を頂戴しました。
「宝冠・胸飾・臂釧といった細かな金属製荘厳具に至るまで、その意匠考案は仏師が行い、その意匠案に基づき、金工工人が制作に当たったこと、またその金工工人は、必ずしも造像において確固たる位置付けを有していなかった点を再確認するとともに、特定の仏師集団と堅く提携するケースもあったことを想定した。」(三本2010、79ページ)
三本周作「鎌倉時代前・中期における仏像の金属製荘厳具―意匠形式の分類と制作事情を中心に―」(『佛教藝術』313、2010年11月)
「碓氷峠牛玉と認定する条件が一応確定したことで、江戸時代の起請文料紙の分析が、若干ではあるがやりやすくなった。このような寺社ごとの牛玉識別の条件を確定していく作業は、江戸時代における熊野牛玉配布のしくみを明らかにする上で必須の作業である。」(大河内2010、71ページ)
大河内千恵「碓氷峠牛玉の基礎的検討」(『日本歴史』751、2010年12月)
ありがとうございました。
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