観仏三昧的生活のこぼれ話とミュージアムや文化財に関するトピックス。
大河内智之「歓喜寺地蔵菩薩坐像(胎内仏)について」(『和歌山県立博物館研究紀要』17、2011年3月)本像は鎌倉時代前期、一二二〇~一二三〇年代ごろに、紀伊国を代表する武士団・湯浅党の有力者の発願によって慶派仏師によって造像されたと考えられる。保存状態も良く、彫刻・彩色ともに極めて精緻な仕上がりを見せる新出の優れた鎌倉時代彫刻である。
本像の造像後、明恵高弟の喜海によって建長元年(一二四九)に歓喜寺が創建されたのち、平安時代前期の地蔵菩薩坐像(重要文化財)の像内に納められ、胎内仏として伝来した。この地蔵菩薩像安置は、歓喜寺創建に合力した湯浅宗氏の信仰に基づくものと想定される。
像内に納められていた本像は寛文四年(一六六四)に歓喜寺村住人により発見され、近世、近代、現代と地域住民の代表者の間で、手から手へと移動しながら保存、管理され続けてきた。これは仏像が、寺と地域住民を結びつける象徴的な結節点として機能してきたことを具体的に示す事例といえる。
仏像が造られ、守られ、残されていく過程においては多くの人々が関わりを持ち、そうした痕跡は像自体に、また像以外にさまざまなかたちで蓄積する。本稿での作業は、彫刻史的な観点、地域史的な観点など、多様な視点から仏像がもつ情報を引き出し、その歴史的位置づけを少しでも明らかにしようとする試みであった。(16ページ)
Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。
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