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玉稿拝受(2011/6/2、隋代彫刻、長命寺再興)


「(前略)長安周辺には基準となる石窟はなく、長安造像の変遷をたどるにはまずは単独の作例を基準とするしかない。(中略)紀年銘の単独像をとりあげる場合、厄介な問題がある。たとえば、仏像本体と台座が別製で、銘記が台座にある場合、本体と台座がもとから一具のものであったかどうかを検討しなければならない。また、もっと厄介なのは、銘記が後世のものである場合や、像そのものが銘記にいう年代、時代とは異なり、もっと後世に作られている場合である。すなわち、追刻、さらには作品そのものの真贋を見極めなければならないという問題である。その判断はとても難しいが、しかし、避けて通ることはできない。」(藤岡2011、62ページ)

藤岡穣「斉周・隋の仏教美術におけるソグド美術の受容に関する覚書」(『三次元計測技術を用いた新羅王陵石造彫刻の総合的比較研究』、平成18~20年度科学研究費補助金[基盤研究(B)]報告書、2009年3月)
藤岡穣「長安における隋様式の成立―菩薩像を中心に―」(大阪大学文学研究科編集・発行『『隋時代彫刻における紀年銘作品の研究>』、平成16~17年度科学研究費補助金[基盤研究(C)]報告書、課題番号16520080、研究代表者藤岡穣、2011年4月)

「(前略)三仏堂はかつて釈迦堂と呼ばれていたのであった。(中略)三仏堂の造営は永禄頃と考えられており、二階堂と釈迦如来坐像の像立が天正二年であることとほぼ一致している。二階堂本尊釈迦如来坐像はこの釈迦堂の本尊であったといえようか。新出の穀屋寺本熊野観心十界曼荼羅の存在もここに関わってくる。(中略)三仏堂と穀屋寺本熊野観心十界曼荼羅は密接な関係を持っていたと考えてよい。すなわち穀屋寺本熊野観心十界曼荼羅は、釈迦堂が三仏堂と変更された後の作となろう。さらに名称も「熊野」ではなく、長命寺観心十界曼荼羅と霊場寺院の名を冠することを提案しておきたい。」佐々木2011、310ページ)

佐々木進「長命寺二階堂本尊釈迦如来坐像と長命寺穀屋」(真鍋俊照編『密教美術と歴史文化』、法蔵館、2011年5月)
ありがとうございました。
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大河内智之

Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。

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