観心寺 特段用事のない午後。論文に向き合いたいが、子がいるとそうもいかず、とりあえず車に乗って走り出す。すると午前中にスイミングスクールに行った子らが昼寝に突入。それならばと、河内長野市の観心寺へ。霊宝館を独り占めして、9~12世紀の平安時代彫刻の数々を堪能。目前の論文で苦しんでいる10世紀と11世紀の狭間の年代観に答えを出すために、眼を平安時代彫刻にならす。とはいえ、観心寺の仏像群の年代比定も一筋縄ではいかない。ま、心が少し穏やかになったからよしとする。境内を散策して行者堂に参ったところ、柱に打ち付けられた明治の碑伝あり。頂部近くに近世の葛城修験特有の深蛇大王・二上権現の護法神名を記した聖護院によるもの。おおー、こんなところにと、おどろく。葛城修験の行場そのものではないだけに、皇国史観における楠公信仰との関わりで行場に組み込まれたものかと、いろいろ想像が膨らむ。
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