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読書記録(2011年8月分)

備忘のための読書記録、2011年8月分。論文は除く。発行年月日は初版のもの。

吉見俊哉『大学とは何か』(岩波書店、2011年7月)
 「大学とは、メディアなのだ。メディアとしての大学は、人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介する。その媒介の基本原理は「自由」にあり、だからこそ近代以降、同じく「自由」を志向するメディアたる出版と、厭が応でも大学は複雑な対抗的連携で結ばれてきた。中世には都市がメディアとしての大学の基盤であり、近世になると出版が大学の外で発達し、国民国家の時代に両者は統合された。そして今、出版の銀河系からネットの銀河系への移行が急激に進むなか、メディアとしての大学の位相も劇的に変化しつつある」(258ページ)

村山修一『修験の世界』(人文書院、1992年7月)
 「従来金剛蔵王は金峯山を黄金の山と解釈するところから連想された尊名だといわれてきたのは間違いであり、金峯山の名から黄金の山を想像することは奈良朝にはなかったのである。悠古の昔に水銀が発掘され、その神として金山彦神がまつられ金の山の神と仰がれた信仰は色褪せて金剛蔵王を発想されるに至らなかった。むしろ金剛蔵王の信仰がクローズアップされるにつれ、そこからかつての幽かな金山神(鉱山神)の信仰が喚起され純金の山とする幻想へとエスカレートしていったのである。」(133ページ)

米倉迪夫『源頼朝像-沈黙の肖像画』(平凡社、2006年6月)<再読>
 「特権的な、あまりに特権的なこの画像が語るものは、「肖像画」が像主を現実の空間から剥ぎ取り、異化された舞台に据えるという可能性である。直義像の顔かたちと姿かたちが意図しているのは、ほかでもない武家の頂点に立つ者の「らしさ」の表出である。」(172ページ)

キャロル・ダンカン著、川口幸也訳『美術館という幻想-儀礼と権力-』(水声社、2011年7月)
 「近代の美術館文化が優れている点は、儀礼そのものを構築することにある。しかも、その儀礼は、歴史や社会、あるいは道徳の問題との兼ね合いからではなく、むしろそういった関心を切り捨て、はるか向こうにあるものや場所-非理性的、神秘的精神の内側や、プリミティブな人間の幻想、あるいはまた個人的にしか立ち入ることのできない自然な、歴史とは無関係な領域-を求めることによって、意味やアイデンティティを見出そうとするのだ。美術館というミクロコスモスは、広告というミクロコスモスと同様に、孤立した自我を最良の顧客にしているのである。」(233ページ)
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大河内智之

Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。

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