読書記録、2011年11月分。論文は除く。発行年月日は初版のもの。
伊藤裕偉『聖地熊野の舞台裏ー地域を支えた中世の人々』(高志書院、2011年3月)「熊野三山の近隣地域は、無条件に熊野三山につながっていると思いがちである。確かに関わりは深いが、実態はもっと複雑で、それほど単純ではないのであろう。地域はそれぞれの個性によって独自の動きを示す場合がある。相野荘・鵜殿荘の動向もそういった観点から見直す必要がある。」(142頁)
パルテノン多摩編集発行『開発を見つめた石仏たち-多摩ニュータウン開発と石仏の移動-』(2011年9月)「開発のため移動を余儀なくされた石仏に対して、人々は努力を重ねながら、その時、最適と考えられた場に移転をさせ、石仏を守ってきました。現在、私たちが目にする石仏の姿は、そうした背景や歴史が蓄積されたものだといえるでしょう。石仏は、決して「時が止まった」存在ではなく、むしろ人々の営みとともに生き続けている存在なのです。」(52頁)
内田樹『他者と死者-ラカンによるレヴィナス』(文藝春秋、2011年11月)「偶像崇拝がもっとも罪深い瀆神行為とされるのは、それが他者を「存在論の語法」で語ることだからである。神の絶対的な超越性は視覚と触覚において汚される。(中略)レヴィナスによれば「顔」を「目指す」とは顔を見ることでも、触れることでもなく、何よりもまず「語りかける」ことである。」(208頁)
戸田芳美『中世の神仏と古道』(吉川弘文館、2010年8月)「武士が悪業・罪業の人という烙印を押されたことには、その思想的根拠があるが、しかし仏教の教義に含まれたその思想材料を、貴族・僧侶のみならず、広く民衆の思想に転化した現実の歴史条件は、以上に示したような公権力執行の爪牙としての武士と、公領・荘園の村落に根ざした百姓との対立・闘争であった。」(28頁)
小山靖憲『熊野古道』(岩波書店、2000年3月、再読)「『吉記』にみえる例では、先達の勧進行為がある。一つは王子社において写経を諸人に呼びかけており、今一つは食料がつきた参詣人に食料を施すために、道中で人々に食物の奉加をもとめている。このように、先達は勧進聖という性格も兼ね備えていたのである。」(89頁)
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