観仏三昧的生活のこぼれ話とミュージアムや文化財に関するトピックス。
加藤幸治『郷土玩具の新解釈-無意識の“郷愁"はなぜ生まれたか-』(社会評論社、2011年12月)「フィールド・サイエンスである民俗学は、日常のあらゆる「あたりまえ」を問い直すことを出発点に据える学問である。郷土玩具の誘惑に方法論的に抗うことは、他者認識/理解と自己の問い直しの作業でもあり、そこから得られる知見は、我々の身体を拘束して離さない近代性そのものへの問いに対する解でもある。」(14ページ)
富山尚一『笙ノ窟と不動明王』(富山スミヱ・富山哲榮・富山二朗発行、2011年11月)「通常仏像等の造像銘は、光背裏面、あるいは仏像の背面に刻されていて、礼拝しても目にすることはできない。しかしこの像の場合、台座の下に框板を敷き、その框板に刻銘しているので、礼拝と同時に刻銘が目に入ってくる。あるいはこのことに弁覚の念願があったのではないだろうか。政子の熊野三山抖擻に先達したのが弁覚ではないかとは先に述べた。政子の願いを実朝の宿願として勧進し安置したとの弁覚の思いが、框座の刻銘であったと考えられる。」33ページ)
飛鳥園制作(解説鈴木喜博)『唐招提寺の仏たち』(唐招提寺、2011年6月)「平成修理では、構造上の新知見があったので次に記す。両目は瞳が別材製、貼付けとしている。石か焼き物のような硬い材質の半円形で、表面は漆塗りで、X線透過撮影によって瞳の中央に小さな珠の存在(X線不透過)が確認された。両手の掌には数珠玉(それぞれ大小二個、径一センチ前後)が埋められていることが分かった。これらの納入品をめぐる造像思想については今後の検討課題だろう。」(盧舎那仏坐像解説)
Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。
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