読書記録、2012年4月分。論文は除く。発行年月日は初版のもの。
五来重『増補=高野聖』(角川書店、1975)(再読)
「高野聖はまた高野山のかくれた一面をしめしてくれる。高野山は真言宗の総本山であることは知られているが、もはや念仏や浄土信仰の山であったことは忘れられてしまった。しかしこのかくされた面こそ、高野山が真言宗の総本山であることよりもっと重要な、日本総菩提所としての霊場となった根本的因縁である。それは高野山と庶民をつなぐルートであり、弘法大師信仰も、この高野聖を媒介として庶民のなかに浸透したのであった。ところがこれほど明確な高野聖の存在とはたらきが、江戸時代の幕藩体制と宗派意識によって堙滅させられていた。」(284頁)。
宮家準『日本の民俗宗教』(講談社、1994・11)「氏神は藤原氏の氏神春日大社が、常世のマレビト神である常陸の鹿島・香取の神を合祀して、その力を増したように、外来の神を祭神として勧請することによってその守護力を増すとされた。こうしたことから明白な名もなかった村の鎮守が、八幡や熊野の神を勧請して八幡神社、熊野神社となっていった。また逆に氏神が、その摂社として、御霊神や流行神を勧請して、氏子の現世利益的希求に応えることもしばしば認められた。こうした場合は、その摂社が若宮と通称された。」(241ページ)。
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読書記録、2012年4月分。論文は除く。発行年月日は初版のもの。五来重『増補=高野聖』(角川書店、197る。高野山は真言宗の総本山であることは知られているが、もはや念仏や浄土信仰の山であったことは忘れられてしまった。しかしこのかくされた面こそ、高野山が真言宗の...
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