読書記録、2012年7月分。論文は除く。発行年月日は初版のもの。
武内孝善『弘法大師 伝承と史実-絵伝を読み解く』(朱鷺書房、2008・7、再読)「以上、大師の文章によると、高野山は、帰朝の際、嵐にあって漂蕩する船上で立てられた誓願にもとづき、一つには鎮護国家と人々の幸福で平安な生活を祈念するための道場として、また一つには諸々の修行者の修繕の道場として、開創されたことがわかる。」(154頁)。
六車由美『驚きの介護民俗学』(医学書院、2012)「しかし、介護民俗学での聞き書きは、利用者の心や状態の変化を目的とはしない(中略)聞き書きでは、社会や時代、そしてそこに生きてきた人間の暮らしを知りたいという絶え間ない学問的好奇心と探求心により利用者の語りにストレートに向き合うのである。
そこでは利用者は、聞き手に知らない世界を教えてくれる師となる。日常的な介護の場面では常に介護される側、助けられる側、という受動的で劣位な「される側」にいる利用者が、ここでは話してあげる側、教えてあげる側という能動的で優位な「してあげる側」になる。」(168-169頁)
国立歴史民俗博物館編『被災地の博物館に聞く-東日本大震災と歴史・文化資料』(吉川弘文館、2012・3)「東日本大震災に直面した人々はすでに立ち上がっています。それぞれの地で再び営みを開始しつつあります。そのエネルギーは、豊かな自然の中で育まれ、時には脅威の自然と真正面から向かい合ってきた歴史と文化への強い思いではないでしょうか。
大震災、原発事故は我が国の社会構造そのもの、そして学問体系の再検討をも迫るものといえます。本書がこうした日本列島内の現在およびこれからのあらゆる災害から歴史・文化資料を守り、地域社会の基盤として活用するための“テキスト”となることを強く願っております。」(5~6頁)
内田樹『街場の文体論』(ミシマ社、2012・7)「メタ・メッセージのもっとも本質的な様態はそれが宛て先を持っているということです。それが自分宛てのメッセージだということがわかれば、たとえそれがどれほど文脈不明でも意味不明でも、人間は全身を耳にして傾聴する。傾聴しなければならない。もしそれが理解できないものであれば、理解できるまで自分自身の理解枠組みそのものを変化させなければならない。それは人間のなかに深く内面化した人類学的命令なのです。」(176頁)
スポンサーサイト
- http://kanbutuzanmai.blog66.fc2.com/tb.php/577-f2bcd9bd
トラックバック
コメントの投稿