8月16日
大阪人権博物館
企画展 たたかいつづけたから、今がある-全療協60年のあゆみ 1951年~2011年-
(7月24日~8月26日) 国立ハンセン病資料館で2011年に開催された展示をベースにして開催。全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)によるらい予防法改正・患者作業の職員化・生活費の確保・医療の充実・社会保障の確立・療養所内の整備等と、らい予防法廃止及び国の責任を認めさせるに至った60年間の取り組みの歴史を、主に写真パネルにより展示。図録なし。 ハンセン病患者への差別の問題については、常設展示でも取り上げられている。
同館は大阪府・大阪市からの補助金が来年度から打ち切られる方針であるが、その理由は市長(元府知事)の「おかし過ぎる!いつもの差別・人権のオンパレード」「どうしてもネガティブな部分が多い」「僕の考えに合わない」といった主観に基づき、また「夢や希望に向かって努力しなさいと教える施設に」なっていないともいう(朝日新聞2012年5月18日大阪版記事による)。しかしリニューアルされた展示は、我々が生きる社会にはさまざまなひずみがあり、そのひずみを大きくする要因が「無知」であり、また「無知」のままではひずみを認識することも難しいということを、様々な事例を通して訴えているものである。そうした展示意図を理解しないまま、自らの無知に気づかないまま、対象を不要と切り捨てられるその頑なな態度こそが、差別と人権侵害の基礎構造であると思う。
リニューアル後の展示では、全館的にパネルを多用して、多くの知識を伝えようという方針でリニューアルしたもよう。ただし、何か本を編集しているような感覚であるのは残念で、やはり博物館は、もっともっと資料に語らせるべきである。たとえば、血液製剤によりHIV感染し死亡した画家を夢みていた岩崎孝祥さんの展示部分、せっかく絶筆の桜の花のスケッチを展示しているのに、なんの情報もなく見る側にその壮絶さを伝えられていない。桜を見たいと母に訴え、必死で探してきたつぼみの桜をたどたどしく描き(衰弱しきったその手が描いた線は、もう桜の輪郭もたどれていない)、疲れたといって途中であきらめたというそのエピソードは、胸に迫る(この内容は新聞記事で知った)。
こうした資料が語る歴史や、またさまざまな人々の意見を取り込み(同館の「証言の部屋」というビデオブースは重要)、「他者」の歴史を自らに重ねていくことこそが成熟なのであり、そうした成熟のない「夢や希望に向かって努力」など、薄っぺらく口当たりのいいストックフレーズにすぎない。博物館の展示には、見る人のまなざしを変える力があるはずだ。重い真実を伝える場が、軽々しいストックフレーズで刈り取られる現在であるがゆえに、博物館は、そして研究者は、その重い真実を人々の心に、敬意をもってきちんと届けていかなければならない。
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