読書記録、2012年9月分。論文は除く。発行年月日は初版のもの。
大阪人権博物館編『人権にはたす博物館の役割』(大阪人権博物館、2001・3)「展示というのは、先ほど赤尾さんの話にあったように、ある現実を切り取って構成されたものです。われわれ学芸員のものの見方、館のものの見方で脚色されたもので、それも疑似体験の一つにすぎないわけです。疑似体験があるということは、本体験があるということですね。本体験をするということが差別問題でいかに大切か。」(62頁、討論より、発言者朝治武)
隙間の時間がぜんぜんなかったので、読書できてません。
展示は現実を切り取って構成されたものということは、全く同意です。ただしそれが本体験でないというスタンスは、私は取りません(もちろん上で言おうとしていることもよく分かる)。資料が何かを物語っており、そしてそれに対峙している「私」は、擬似でもなんでもない、現実そのものです。展示における資料は、本の挿図ではありません。ストーリーのための、添え物ではありません。モノが物語ろうとする、小さなシグナルを無視しないこと。大きな物語に巻き込まれっぱなしにならないこと。難しいけれど、そうしたスタンスを取りたいなあと、思ってます。
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