FC2ブログ

Entries

中学生に伝える「文化財をなぜ守るのか?」の理路

 11月13日に、和歌山市立東中学校の総合学習「出会いに感謝して」の外部講師としてお話をする内容を、アップします。大急ぎで作ったので、論理のやや甘いところもあるのですが、なんとか文化財を身近に、大切なものと感じてもらえるようにという思いです。画像が無いと、分かりにくいかもしれません。ご容赦。

文化財をなぜ守るのか?
―和歌山県の魅力あふれる歴史と文化を未来へ伝える―
(和歌山県立博物館 学芸員 大河内 智之)

1 「文化財」とは
 文化財とは、文化活動によってつくり出されたもののうち、文化的な価値があるもののことです。
 人が生きていく上でのあらゆる活動は、文化的な活動です。ごはんを食べることも、遊ぶことも、学ぶことも、働くことも、日常の生活のあらゆることに、生まれて暮らしてきたその国の、またその地域の、またその家族の文化が反映されています。
 そうした文化財の中で、特に重要なものについては、国や県、市町村が指定して、みんなで保護しようとするものもあります。例えば…

 ・国宝…鞆淵八幡神社(紀の川市)のおみこし(沃懸地螺鈿金銅装神輿・平安時代)
 ・重要文化財…雨錫寺(有田川町)の阿弥陀堂(室町時代)
 ・和歌山県指定文化財…法福寺(有田川町)の阿弥陀如来像及び二十五菩薩像(平安時代)
  
 和歌山県には、こうした昔の人々の暮らしをものがたる文化財が、たくさん残されています。それらの文化財の価値は、身近にあると、なかなか気づきにくいものです。まずは、和歌山市内に伝わった仮面から、文化財とはどういうものか、考えてみたいと思います。

2 紀州東照宮の和歌祭と面掛行列
①和歌祭とは
 江戸時代のはじめ、和歌山には、徳川家康の10番目の男の子、徳川頼宣が藩主としてやってきました。その後、江戸時代を通じて、紀伊徳川家(紀州徳川家)が、紀伊藩の藩主を務めました。
 その徳川頼宣によって建てられた、父・徳川家康(東照大権現)をまつる紀州東照宮(和歌山市和歌浦)の春のお祭を、和歌祭といいます。お祭は家康の亡くなった日に行われた。第1回目は、元和8年(1622)4月17日のこと。お神輿が神社から御旅所というところへ進む際に、様々な仮装行列が連なるのが特徴です。

②面掛行列とは
 和歌祭の行列の一つで、面と頭巾をかぶり、派手な衣装を着て歩くもの。江戸時代には「面掛」「面被」と呼ばれていて、今は「百面」と呼ぶことが多いです。元和8年の最初の行列は38名、その後79人の行列であった記録もあり、人数には増減がありました。

③面掛行列使用仮面の概要 
 平成17年の調査時点で97面という、とてもたくさんの仮面を確認しました。
 仮面を大きく分類すると、神事面、能面、狂言面、神楽面、鼻高面からなり、多様な種類のものが集まっています。仮面の製作時期は、鎌倉~南北朝時代までさかのぼるものから、近現代のものまでさまざま。
 これら仮面群については、和歌山県立博物館で継続した調査研究を行い、平成17年に企画展「きのくに仮面の世界」、平成20年に企画展「奇跡の仮面、大集合!」を開催し、公開しました。その成果をもとに平成21年3月に和歌山県指定文化財に指定されています。

④面掛行列使用仮面の意義
 仮面群には、室町時代に作られた能面や狂言面が多数含まれています。それぞれ自由な造形で魅力的であり、江戸時代になってから能面や狂言面のかたちの約束事が固定化する以前のものばかりです。日本の仮面の歴史を考える上で貴重な資料となるものです。
 能面のうちの7面に、「天下一友閑」の焼印がおされているものがあります。天下一友閑とは、仮面作りの専門家(面打)で、本名は出目満庸(?~1652)。「天下一」は優れた職人に与えられる称号です。こういった面は、江戸時代においても、簡単に手に入れられるものではない、高級品でした。
 その仮面群の中核となる、優れた出来映えの能面・狂言面を集めたのは、自分自身も能を舞う名人でもあった、紀伊徳川家初代藩主の徳川頼宣であったと考えられます。神様としてまつる父・家康に喜んでもらうために、優れた仮面を仮面行列のために用意したのでしょう。、

⑤保存と活用
・新たな仮面の奉納と古い仮面の保存
 仮面の傷みが大きいため、平成15年から、能面文化協会とNPO和歌の浦万葉薪能の会によって新たな仮面が制作・奉納されています(約50面)。平成17年に博物館で展覧会を開催してからは、古い仮面を、新しい仮面を交換するかたちで、一部は保管しています(34面)。仮面行列をこれからも続けることと、古い仮面を未来へ伝えるための、一つの解決策です。
・視覚障害者向け教材開発の素材として活用
 平成22年からは、こうした魅力的な仮面のうちの一部を、県立和歌山工業高校の生徒たちと協力して、プラスチック製の複製を作成し、さわれるレプリカ資料として展示中です。

⑥文化財としての仮面の価値
 仮面行列の本質は、不思議な姿の人(神)が幸せをふりまきながら、にぎやかに舞い歩いて、お祭りらしさ(祝祭性)を表すことにありました。そうした面掛行列の芸のありかたは、江戸時代から現代までの間に変化し続けています。
 しかし、仮面が語りかけてくれる情報に耳をすましてみると、忘れられていたこの面掛行列のかつてのあり方(歴史)が、少しずつ見え始めています。
 面掛行列の仮面は、過去の人々と現在の人々をつないでくれる、大事な歴史の証人なのです。これらの仮面が失われてしまうと、面掛行列に関する歴史のある部分は、もう二度と復元できなくなります。仮面は、ほかに替わるもののない、大切な文化財なのです。

3 「文化財」って、特別なもの?
 文化財とは、自分たちとは関係のない、遠い存在なのでしょうか。いえ違います。
 私たちが着ている服、読んでいる教科書、予定を記した手帳、ありとあらゆるものは、人の文化活動によってつくり出されたものです。ですから、全て文化財と捉えていいと思います。
 もちろん、自分の着ている服や手帳を、誰もが大切だと思ってはくれないでしょうから、残念ながらすぐに国宝や重要文化財にはなりません。でも、もしその服が、1000年後もただ一つだけ残っていたとしたら…?。
 文化財は、単にモノとして珍しいから大事なのではありません。それが残されていることで、ある人や、人々の集団が、確かに生きて、暮らして、悩んだり、喜んだり、頑張っていたことが確かめられることに意味があるのです。
 みなさんが持っているモノの一つ一つにも、いろんな思い出があると思います。そうした事例を次に見てみましょう。

4 モノと思い出―県立博物館「マイミュージアムギャラリー」の展示資料から―
 平成21年6月から8月にかけて、県立博物館で展示したある鉄道模型があります。児玉さち子さんという方が持っている、電車のおもちゃです。
 少し大きいおもちゃ屋さんに行けば売っている、いわば何の変哲もないおもちゃです。博物館で、特に珍しくないそのおもちゃを展示したのはなぜでしょうか。実は、そこには、次のような思い出がこもっていたのです。

「この電車の模型は、先年24歳で亡くなった息子明洋が小さいころに遊んでいたものです。息子は電車が好きで、幼稚園に行く前から毎日、雨が降っても雪が降っても、近くの吉礼駅の踏切まで散歩して、貴志川線を走る電車を見に行っていました。
 電車の旅も好きで、小学校3年生ごろ、特急北斗星に叔父といっしょに乗って、開通したての青函トンネルを抜けて北海道に行ったり、高野山に行く際には、家族は車なのに息子は電車で行ったこともありました
部屋中レールだらけにして、「カンカン」と踏切の音を声に出しながら、身をかがめて夢中で走る電車をのぞき込んでいたことを、今でも思い出します。」


 こうした思い出を知ると、それは「何の変哲もないおもちゃ」ではなく、児玉さんにとって他に替わるもののない、大切な息子さんの形見の品であることに気づきます。国宝、重要文化財にはならなくとも、息子さんが確かに生きた歴史を伝える、自分だけの「文化財」であるのです。

5 多発する文化財の破壊や盗難の被害
①和歌山県下で発生した文化財の破壊
 現在、昔と今をつないでくれ大切な文化財が、さまざまな被害に遭っています。

 田辺市中辺路町の箸折峠というところに置かれている、牛と馬にまたがった不思議な姿の牛馬童子像は、熊野三山へとお参りする道である熊野古道のシンボル的存在となっています。
 平成20年6月18日に、この牛馬童子の頭部が切断され失われてしまいました。ただちに地元の方々による数百人規模の捜索が行われましたが見つからず、同年の10月に新たな顔が作ら れて復元されました。その後、平成22年8月16日、約11㎞離れた田辺市鮎川のバス停のベンチで、頭部が発見されました。


②和歌山県下で発生した文化財の盗難
 平成22年から23年春頃にかけて和歌山県では、山あいの小さなお堂を中心に、仏像など文化財の盗難被害が集中的に発生しました。警察への被害届があったものだけでも、約70件に達っする、空前絶後の盗難事件でした。

 平成22年9月9日、橋本市高野口町上中の集落にある、千光寺の本尊、千手観音立像が盗まれていることが判明しました。像高104㎝、平安時代末期(今から850年ほど前)の作。
 犯罪現場には、盗難の際に壊れた手や衣の部品、持ち物などが散乱。守られてきた本来あるべき場所から暴力的に引きはがして奪い去る、文化財盗難の実態のすさまじさを、具体的に示す事例でした。

 なお、これらの文化財盗難を行った犯人は、2011年4月に逮捕されましたが、一部の文化財については所蔵者に返還されたものの、多くはすでに売られた後で、行方が分かっていません。
 文化財を盗む行為は、窃盗(せつとう)という犯罪行為として許されないことです。そして、地域で生きた人々の思いを、本来あるべき場所から、むりやり引きはがす行為でもあるのです。その行為は、地域や人々の「歴史」を奪う、卑劣な犯罪であると思います。そうした被害にあうことで、所蔵する地域の人々の心や絆にも、大きな傷を負うことになるのです。

6 文化財をなぜ守るのか?―まとめ―
 文化財(歴史資料)というのは、人々が確かに生きたその歴史を具体的に証明してくれるものです。私たちの過去は、それが何らかの証拠に基づいて示すことができない限り、実はなかったことと同じなのです。
 私たちが過去が確かにあったと認識することができるのは(例えば小学校の時の思い出を思い出してみましょう)、まず記憶という証拠があり、あるいは日記やノートがあり、また過去の記憶をまとった思い出の品があるからです。でも他人の過去の場合は、その脳の中の記憶をそのまま受け継ぐことはできませんから、日記やノート、思い出の品(外部データ)が歴史を知るための証拠となるでしょう。
 もしそれが失われて何も残っていなければ、どうでしょうか。歴史は失われ、その人が生きたことも、無かったのと同じになります。
 だからこそ、その外部データ(文化財)は、かつて生きた人々を思い出すために、そしてそれらの人々が暮らした社会を今再び再現するために、欠かせないものとなるのです。
 私たちは、一人で生まれてきたのではありません。また一人で生きているのでもありません。たくさんの過去の人々の蓄積は、遺伝子の継承という生物学的要素とともに、記憶や文化の継承というかたちで、私たちの頭の中にしっかり受け継がれています。
 過去と現在をつなぐ文化財を守ることは、「私」が何者なのかを明らかにするルーツを守ることでもあるのです。文化財を守ることは、「私」を守ることなのです。
スポンサーサイト



この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://kanbutuzanmai.blog66.fc2.com/tb.php/596-5c94d93b

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

大河内智之

Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。

月別アーカイブ

ブログ内検索