
5月30日、第61回美術史学会のシンポジウム「世界美術史の可能性」を東京大学安田講堂で聴講。世界美術史という概念は不勉強で初めて聞きましたが、西洋的な学問様式への反省の中、当の西洋の中から生まれてきた概念とのこと。
ジョン・オナイアンズ氏(John Onians、イギリス、イースト・アングリア大学名誉教授)の「世界美術史としてのニューロアートヒストリー」は、ニューアートヒストリーかと思いきや、神経細胞(neuro)美術史であった!研究手法・方法論を追随・追体験しずらいのですが、原始美術や抽象的表現の比較に有効な点もあるのかもしれません。
デヴィッド・キャリアー氏(David Carrier、アメリカ、ケース・ウェスタン・リザーヴ大学教授)の「世界美術史における日本仏教美術の位置」は、宗教美術における場との関係性に言及、モノを世界美術史の土俵に上げるには異なるアート・文化を美術館に併置する必要があり、それはモノを美術へとコンテクストの交換をすることであるとのこと。コンテクストを切り離し一定の視点から眺めることを帝国主義的な美術史であるとすれば、MUSEUMの場に本当に必要なのは、多様な文化と多様な(また多層な)コンテクストをいかに切り離さずに資料化できるか、ということでしょう。中央?地方のヒエラルキーにも同じ構造的問題があり、美術史による「地域史」叙述の方向性を追求することの妥当性を改めて意識できました。
講演が長引き、帰りの足の関係でディスカッションはパスせざるを得ませんでしたが、結局「世界美術史」を誠実に遂行しようと思った場合、多文化・多言語・多宗教に目配りしておかなければ、あっという間にコンテクストの切断に与してしまうということを理解しました。コンテクストの恣意的な切断=帝国主義、コンテクスト切断への慎重な態度=高邁な理想、という図式でしょうか。
帰宅後、強行軍が祟って高熱発生。健康第一。
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