最近すっかりブログにアップするのが億劫だった読書記録を、やはりモチベーション維持のために再開してみます。論文は除きます。
井上智勝『吉田神道の四百年-神と葵の近世史-』(講談社、2013)
「結局、徳川政権は、最後まで神道を掌握できなかった。それは神国日本の代表者の地位を勝ち得ることができなかったことをも意味する。」(214頁)
五来重『日本人の地獄と極楽』(吉川弘文館、2013)
「この昔話は、日本人の地獄が浄土と同列に意識されていたことを示すのである。(中略)この種の説話を私は「他界往来談」とするが、この他界は地獄でもあり浄土でもあり、懲罰と恩寵が同居した世界である」(167頁)。
鈴木正崇『女人禁制』(吉川弘文館、2002)
「山についての認識は、狩猟民と農耕民には大きな差異があり、修験は山と里を往復する中で、自然に相互を結びつける役割を果たした。女人結界は、山と里の文化的境界にも重なっていた。」(141ページ)
大阪人権博物館編集発行『障害学の現在』(2002)
「障害学というのは、障害という体験を持った一人一人、固有な体験を持った人が、自分の位置からは世界がどのように見えるのかという風景を示すだけでなく、同時に全体的な地図を示す試み」(7頁、石川准「今、なぜ障害学か」)
根立研介『ほとけを造った人びと-止利仏師から運慶・快慶まで』(吉川弘文館、2013)
「仏師が、僧籍を有するようになる要因の一つもこのことに関わると思われるが、仏像という聖なる造形は聖なる人々によって造られなければならないという認識がしだいに一般化した」(250頁)
天野文雄『能に憑かれた権力者-秀吉能楽愛好記』(講談社、1997)
「このように禁中能の出演者を紹介してみて、改めて興味ぶかく思われるのは、玄人と素人の区別があまりないように思われることである。」(134ページ)
内田啓一監修『浄土の美術-極楽往生への願いが生んだ救いの美』(東京美術、2009)
「法然上人絵伝に登場する往生者たちは、憔悴し、世紀を失った姿に描かれている。対して、往生する瞬間の目撃者たらんとする僧俗あわせた参集者は、悲しみに暮れる者もいるが、畏敬の念をもって合掌するかのようにみえる人もいる。往生者は、まさに「生きぼとけ」であり、往生儀礼は、ある意味で崇高な儀式であったのである。」(32ページ)。
大串純夫『来迎芸術』(法蔵館、1983)
「恵心在世の頃に来迎図の作られていたことも確かである。しかしながら、彼の行った菩提講では『二十五三昧起請』などにも説く通り、弥陀の彫像に対して往生の観行を修めるように勧めてはいるけれど、かかる画像を安置すべしと特に主張した確証はない」(69-70ペ-ジ)
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