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粉河小学校での講座「未来へ伝える私たちの歴史」

 平成25年10月4日、紀の川市立粉河小学校にお邪魔して、6年生のみなさんに「未来へ伝える私たちの歴史-文化財を守るために-」という題名で、お話しをしてきました。講演後も、興味を持ってくれた生徒が内容を振り返ることができるよう、できるだけ分かりやすくと心がけて資料を作成しましたので、ここに掲示します。45分×2コマで、1~5章を5時間目、6~10章を6時間目にお話ししました。

「未来へ伝える私たちの歴史-文化財を守るために-」

1 「文化財」ってなんだろう?
 文化財とは、「文化活動によってつくり出されたもののうち、文化的な価値があるもの」です。
 では「文化活動」ってなんでしょう。特別なことではありません。人が生きていく上でのあらゆる活動は、文化的な活動です。ごはんを食べることも、遊ぶことも、学ぶことも、働くことも、日常の生活のあらゆることに、生まれて暮らしてきたその国の、またその地域の、またその家族の文化が反映されています。
 人々の暮らしの中で生み出されてきた文化財のうち、特に大切なものについては、国宝や重要文化財など、国や県、市町村が、みんなの宝物として指定し、守られることがあります。例えば紀の川市には「国宝」が2つありますが、どちらも旧粉河町に伝わってきたものなんですよ。

 ・鞆淵八幡神社のおみこし(沃懸地螺鈿金銅装神輿・平安時代)
→日本最古のおみこしの一つです。京都の石清水八幡宮から、鎌倉時代に鞆淵八幡神社に移され、それから800年の間、大切に守られ続けました。

 ・粉河寺の絵巻物(粉河寺縁起絵巻・平安時代)
→全長19m84㎝の横長の紙に、粉河寺の始まりの物語が描かれています。平安時代の終わり頃に、後白河上皇という人が作らせたと考えられています。日本の絵巻物の中でも、最も優れたものの一つです。
  
 和歌山県には、こうした昔の人々の暮らしを伝えてくれる文化財が、たくさん残されています。でも、身近にある文化財について考える機会は、普段はあまりないのではないでしょうか。

2 「文化財」って、特別なもの?
 文化財とは、自分たちとは関係のない、遠い存在なのでしょうか。いえ、違います。
 私たちが着ている服、読んでいる教科書、使っているノート、ありとあらゆるものは、人の文化活動によってつくり出されたものです。ですから、全て文化財と捉えていいと、私は思います。
 もちろん、自分の服やノートを、誰もが大切だと思ってはくれないでしょうから、残念ながらすぐに国宝や重要文化財にはなりません。でも、もしその服が、1000年後もただ一つだけ残っていたとしたら…?。
 文化財は、ただ単に珍しいから大切なのではありません。それが残されていることで、ある人が、確かに生きて、暮らして、悩んだり、喜んだり、頑張っていたことが確かめられることに意味があるのです。みなさんが持っているものの一つ一つにも、いろんな思い出があると思います。そうした思い出の品の例を、次に見てみましょう。

3 大切な思い出の品―県立博物館「マイミュージアムギャラリー」の展示資料から―
 平成21年6月から8月にかけて、県立博物館で展示したある鉄道模型があります。児玉さち子さんという方が持っている、電車のおもちゃです。
 少し大きいおもちゃ屋さんに行けば売っている、何の変哲もないおもちゃです。しかしそこには、次のような思い出がこもっています。

│ 「この電車の模型は、先年24歳で亡くなった息子明洋が小さいころに遊んでいたものです。
│息子は電車が好きで、幼稚園に行く前から毎日、雨が降っても雪が降っても、近くの吉礼駅の
│踏切まで散歩して、貴志川線を走る電車を見に行っていました。
│ 電車の旅も好きで、小学校3年生ごろ、特急北斗星に叔父といっしょに乗って、開通したての
│青函トンネルを抜けて北海道に行ったり、高野山に行く際には、家族は車なのに息子は電車で
│行ったこともありました。
│ 部屋中レールだらけにして、「カンカン」と踏切の音を声に出しながら、身をかがめて夢中
│で走る電車をのぞき込んでいたことを、今でも思い出します。」

 こうした思い出を知ると、それは「何の変哲もないおもちゃ」ではなく、児玉さんにとって他に替わるもののない、大切な息子の形見の品であることに気づきます。
 国宝や重要文化財にはならなくとも、児玉さんにとっては、息子が確かに生きた歴史を伝える、自分だけの「文化財」であるのです。みなさんにも、自分の歴史を振り返ったときに、失くしてしまいたくない自分だけの「文化財」があるのではないでしょうか。

4 なぜ文化財を守るの?
 文化財は、人々が確かに生きたその歴史を、明らかにしてくれる証拠です。私たちの過去は、確かな証拠によって示すことができなければ、実はなかったことと同じになってしまいます。
 私たちが過去が確かにあったと認識することができるのは、まず記憶という証拠があり、あるいは日記や手帳、写真があって、また過去の記憶をまとった思い出の品があるからです。
 もしそれが失われて何も残っていなければ、どうでしょうか。自分の歴史をだれも知ることができなければ、その人が生きていたことも誰も知ることができません。いってみればそれは、歴史自体がなくなるということと、同じです。
 だからこそ、さまざまな文化財は、かつて生きた人々を思い出すために、そしてそれらの人々が暮らした社会を今再び考える上で、欠かせないものとなるのです。
 私たちは、昔の人たちが使い、そして造り上げてきた言葉や文化を、たくさん受け継いでいます。昔の人たちと私たちはつながっているのです。けして無関係ではないのです。昔の人たちが生きたことを伝えてくれる文化財を守ることは、「私」を守ることにもつながるのではないでしょうか。

5 壊され、盗まれる文化財 
 今、そうした昔と今をつないでくれる大切な文化財が、壊されたり盗まれたりする、悲しい事件が、たくさん発生しています。その一つの事例を、まず紹介します。
 田辺市中辺路町の箸折峠という山の中に置かれている、牛と馬にまたがった不思議な姿の牛馬童子像は、熊野三山へとお参りする道である熊野古道のシンボルとして、とても愛されてきました。しかし平成20年6月18日に、この牛馬童子の頭部が折り取られてなくなっていることが分かりました。すぐに地元の方々200人が山の中で頭部を探しましたが見つからず、同じ年の10月には新しい顔が作られて、取り付けられました。
 その後、2年が過ぎた平成22年8月16日になって、約11㎞離れた田辺市鮎川のバス停のベンチで頭部が発見されました。見つけたのは地元の中学生でした。
 すなわちこの事件は、誰かが石像を壊し、さらに盗んでいったという事件だったのです。犯人はまだ捕まっていませんが、なぜそんなことをしたのか、まったく分かりません。いったいどうすればこうした文化財を、悪い人から守れるのでしょうか。とても難しい問題です。

6 中津川行者堂について
 粉河小学校から2㎞ほど北にある、紀の川市中津川の山の中に、中津川行者堂というお堂があります。まず、「行者」とは、いったい何でしょうか。 
 和歌山と大阪の県境である葛城山系の山々では、むかし、「修験者」あるいは「山伏」とよばれるお坊さんがたくさん修行していました。こうした人たちが信仰していた宗教を、修験道といいます。中津川行者堂には、その修験道を開いたという、役行者という奈良時代の人物を、おまつりしています。葛城山系で行われていた修験道の修行のことを「葛城修験」とよんでいますが、中津川行者堂は、修験者たちが必ず訪れた、とても大切な修行場所だったところです。
 役行者には、伝説では、身の回りのお世話をする前鬼・後鬼という2匹の鬼が付き従っていたといいます。修験道では、この役行者の伝説から、修験者の修行を支えて、助ける人たちを「鬼」と呼ぶことがあります。実は中津川にも、こうした修験者たちの修行を支えてきた、「五鬼」という家があります。その五鬼の家は、修験道の本山(最も中心となるお寺)である京都の聖護院から名前をもらったと伝えられます。前坂主殿・亀岡式部・西野主馬・中井左京・中川但馬がその5つの家名(および職名)です。中津川行者堂は現在もこの五鬼の家を中心に管理され、今も毎年春には、聖護院の修験者たちがやってきて、大がかりな法要を行っています。

7 盗難被害を受けた中津川行者堂
 平成22年(2010)から23年(2011)の春にかけて和歌山県では、山間部の集落にある小さなお堂を中心に、仏像などの文化財が盗まれる事件が、とてもたくさん起こりました。警察に被害が届けられたものだけで60件、盗まれた文化財は260点以上でした。全国でも、こんなに文化財が盗まれる事件は、これまでにありません。中津川行者堂も、被害を受けた所の一つです。
 中津川行者堂は、中津川の集落からは1㎞ほど山の中に入ったところにあり、お堂の周辺には誰も住んでいません。そのため、これまでに何度も泥棒に狙われ、被害を受けてきました。
 まず平成2年(1990)には、今から850年ほど前に作られた平安時代の阿弥陀三尊像(和歌山県指定文化財)や、不動明王坐像など、仏像6体が盗まれました。その時お堂のなかには、不動明王坐像の足だけが、悲しくころがっていったそうです。
 そして、平成22年4月になって、お堂の前につり下げられていた鰐口が盗まれていることがわかりました。さらに8月には本尊の役行者と前鬼・後鬼像が盗まれたのです。ほんの4ヶ月の間に2回も泥棒に入られるという緊急事態のなか、次の被害を出さないために、お堂の中に残っている他の文化財は、和歌山県立博物館にただちに避難することになりました。

8、発見された役行者像
 平成23年(2011)4月、和歌山県内で文化財を盗み続けていた犯人が逮捕されました。犯人は、盗んだ文化財を、大阪府内の古物商に売っていましたが、そのお店にはまだ一部の文化財が残っていました。その中に、中津川行者堂の役行者像があったのです。7月9日、警察から役行者像が行者堂に帰されました。
 でも役行者の両脇にいた、前鬼・後鬼という2匹の鬼は、今も見つかっていません。後鬼については、インターネットのオークションサイトで売られていたのを見た、という確かな情報もありますが、その行方は全くつかめません。
 戻ってきた役行者像についても、また再び泥棒に狙われた際に、現地のお堂では現時点では防ぐことが難しいため、県立博物館で保管しています。

9、祈りの場の復活-新たな役行者像をお堂に安置-
 泥棒から守るためとはいえ、文化財を全て博物館に避難したことで、お堂のなかはからっぽになってしまいました。地域の方々や、修験者たちがお祈りをささげる場所なのに、からっぽなのは寂しいことです。そこで、中津川行者堂にもう一組伝わって来た役行者と前鬼・後鬼の像を、和歌山県立和歌山工業高校に協力してもらい、レーザーで計測して3Dデータをとり、それをもとに立体プリンターという機械で本物そっくりの複製を造りました。
 今年の3月24日、その複製を中津川行者堂に運びました。その日は、京都の聖護院の管長(いちばん偉い人)が行者堂にやってきて、法要を行いました。そして、あらたに安置した役行者と前鬼・後鬼の像は、現在、本尊としてまつられています。

10、文化財を守るために  
 文化財を盗まれてしまうことは、ただ単に物だけがなくなるということではありません。文化財は歴史を明らかにしてくれる証拠です。それを失うことは、地域で生きた人々の歴史や、積みかさねてきた思いも、引きはがされ、奪われることになるのです。そして地域の人々の心にも、大きな傷を負わされてしまいます。
 こうした被害に遭わないために大切なことは何でしょうか。もちろん、鍵をきちんと掛けたりするなど、防犯の手立てをきちんと行っておくことが必要なことは、言うまでもありません。でも、その前にまず必要なのは、自分の暮らす地域に残されてきた文化財を知り、興味を持つということです。誰もが地域に伝わってきた文化財に無関心のままでは、例え盗まれても、壊れていても気がつきませんし、ほったらかしになるでしょう。
 みなさんが暮らす粉河の文化財は、みなさんの歴史そのものといえる大切な宝物です。一人一人が、文化財を守り、歴史を未来に伝えていくその役割を、ぜひ担ってほしいと思います。

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大河内智之

Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。

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