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広島県立歴史民俗資料館「尾道・浄土寺の寺宝展」、木山寺「木山寺・木山神社の宝物とその歴史」鑑賞記

10月11日
広島県立歴史民俗資料館
 平成の大修理完成記念 尾道・浄土寺の寺宝展-瀬戸内の精華-
(10月9日~11月23日)

 広島歴博・歴民による浄土寺調査の成果を公開。浄土寺中興の定証(叡尊高弟)が記した嘉元4年(1306)定証起請文から、伽藍再建時の具体的状況を提示。聖徳太子立像(孝養像・重文)は乾元2年(1303)院憲作で、定証が子息の菩提のために造像したことが起請文に示される。阿弥陀如来坐像(重文・未出陳)の脇侍観音菩薩・勢至菩薩立像(パネル)は室町~江戸時代とされるが、鎌倉時代後期の善派系仏師の作風に通じ、起請文に「観音勢至二菩薩立像各一体/金泥行有作光阿弥陀本仏修復之時造副之」とあるのに一致するか。多宝塔安置の大日如来・釈迦如来・薬師如来坐像は、展示では大日を南北朝時代、釈迦・薬師を室町時代とするが、3躯の作風は一致し、ややふくよかな体型など鎌倉末~南北朝初の作風。多宝塔建立の嘉暦3年(1328)が造像の一つの画期と捉えられ、それならば定証没後すぐの造像。文殊菩薩騎獅像は、厨子底板の銘に永和4年(1377)銘、浄土寺僧交名、大工名とともに「奉安置大聖文殊一体南都都波居作」と記され、早くから椿井仏所の作例として知られるが、文殊の側面観、獅子の洗練された出来映えなど鎌倉時代(前期~中期)の作にしか見えない。椿井仏師がうまいのか、それとも別の要因があるのか悩ましい。ほか仏像では金胎の大日如来坐像2躯(重文・平安時代後期)。文保2年(1318)益圓筆の両界曼荼羅図(重文)は、尊像表現に優れた貴重な紀年銘作例。描表装。こちらも定証活躍期のもの。定証は紀伊国出身の真言律僧で、粉河寺近辺に拠点を持つ武士であったらしい(これも定証起請文による)。後期展示の仏涅槃図(重文)の旧軸木に「文永十一年粉河寺僧随覚房生年四十也」(文永11年=1274)とあることも含め、和歌山との連なりを考えながら鑑賞。主催者と異なる私見も述べたが、なんといっても展示公開・情報共有化の機会を作っていただいたからこそのこと。さらなる勉強にはげむことが鑑賞者の務め。図録あり(158ページ、1800円)。浄土寺の全仏像が図版紹介され、極めて貴重。

木山寺
 高野山開創1200年記念事業 木山寺・木山神社の宝物とその歴史
(10月9日~10月11日)

 木山寺開創1200年、木山神社鎮座1200年の記念として、両寺社の調査を継続してきた大阪大学大学院文学研究科招聘研究員中山一磨氏を中心とする科学研究費補助金による展示事業。木山神社奥宮本殿改修事業竣工の祭礼も合わせて行われ、地域をあげての開催。木山寺伝来で、調査によって確認された棟札、古記録、古文書、聖教類を客殿内に展示。また普段は岡山県立博物館寄託の遣迎二尊十王十仏図(鎌倉時代・県指定)、阿弥陀三尊十仏来迎図(南北朝~室町時代・県指定)など仏画も展示。合わせて木山神社奥宮に安置され、社殿改修に際して平成25年に調査され、新たに見出された神像10躯が公開。作風が共通する鎌倉~南北朝時代とされる6躯は、俗体男神坐像2躯(趺坐・倚坐)、法体男神坐像、俗体男神立像2躯(随身?)鬼神立像からなる群像。製作時期の判断が難しいが、貴重な中世の神像にまみえることのできた奇跡。今後、図版やデータの紹介がなされることを切望。木山寺本堂の諸像、木山神社随身門の応安3年(1396)定祐作門客人(随身)立像も拝観。展示資料キャプション集(30ページ、200円)、江戸時代の版木から刷った境内絵図(1000円)入手。科研に関わる研究者が結集して会場整理されており、神仏習合研究の権威から資料解説を受ける贅沢。開催にあたってのご苦労も多かったろうと思うが、研究活動の地域へのフィードバックとして、そして速報的な情報共有化の場として、とても貴い実践活動。
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大河内智之

Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。

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