12月22日
大阪府立狭山池博物館
ボランティア企画展 片桐且元-ともに語ろう夢のあと ともに歩もう作事の跡-
(12月19日~1月24日) 片桐且元の没後400年展として、同館の市民ボランティア「且元集額会」による15か月の準備期間に基づく展示。実物資料はほぼ取り扱わない写真パネル展示であるが、豊臣秀頼の膨大な寺社作事と水利事業において奉行を勤めたその足跡を紹介する。河内、和泉、大阪市内、京都、奈良の関連諸寺社ほかを巡って調査された成果は、そのまま冊子にできる整った構成となっており、感服。脆弱な資料を取り扱うことや、限られた実物資料から文脈をつなげて歴史を立ち上げる作業は専門的なスキルが必要で、市民参加型展示の場合のネックとなるが、その点で、調べたものをまとめてパネル展示とする本展のスタンスは堅実。ただしチラシにほぼパネル展示であることを示すことも大切。図録なし。
金剛寺鎮守丹生高野明神社(河内長野市)・南近義神社(貝塚市)・蟻通神社(泉佐野市) 片桐且元が奉行となって造営した天野山金剛寺の伽藍は、現在平成の大修理中。五仏堂の五智如来坐像(重文)、宝物館の多宝塔本尊大日如来坐像(重文)、五秘密曼荼羅(重文)、阿観・阿鑁像ほかを拝観し、境外の鎮守丹生高野明神社参拝。高野山僧阿観によって承安3年(1173)勧請。現社殿は慶長11年(1606)の建立で、府指定文化財。麓に新しい社があるためか参拝者はほとんどないようで、参道はかなり荒れる。丹生明神つながりで、次に南近義神社(貝塚市王子)参拝。中世天野社領近木荘の荘鎮守。近木荘は元寇(モンゴル襲来)時の丹生高野明神の戦績により弘安7年(1284)に報償として寄進された荘園。最後に蟻通神社(泉佐野市長滝)参拝。丹生高野四社明神の第三殿は、近世半ばまで実は蟻通神であった。ただし和泉長滝荘の蟻通神でなく紀伊渋田荘の蟻通神で、両蟻通神社の関係は不明。第三殿祭神はのち気比神に変わる。
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