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一関市博物館「松川二十五菩薩の全貌」展、中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡巡見記

7月28日
一関市博物館
 テーマ展 松川二十五菩薩の全貌-平泉文化の余光-
(7月2日~8月14日)

 平安時代後期阿弥陀迎摂像の希有な残存事例である一関市・松川二十五菩薩堂の破損仏群を一挙公開。現状ばらばらになっている諸部品の同定に果敢に取り組み、13体分の菩薩像について接合(復原した姿はパネルで提示、図録にも掲載)を果たす。例えば坐像5(旧5号菩薩)は体部と頭部(後頭部材のみ)が組み合わされ、群像中初めて像高のほぼ実寸が把握(53.5㎝)された。跪坐する脇侍1(旧6号菩薩)、脇侍2(旧7号菩薩)はともに上半身の右半、両上腕、脚部、どちらかの後頭部材・髻部材が残ることが把握。立像1(旧23号菩薩)、立像2(旧22号菩薩)はともに腹部から下を残し、胴部の接合面はイモ矧ぎとするが、その胸部部品が把握され、間に胴部部品(亡失)を挟む構造であることが判明。動きのある菩薩像を微調整しつつ造像する工夫か。この2体については台座蓮肉部も残存。ほか、蓋襠衣をまとう腕部材2点が、蓋襠衣をまとう跪坐像1(旧21号菩薩)、跪坐像2(旧20号菩薩)とは接合しないことも確定。
 各像の背面を見てみると、従来指摘されていなかったが、平安時代後期以降の奈良仏師作例に見られる腰帯表現が表されていて、これら群像の作者系統が把握される。伝来地についても、平泉を西に望む(物理的には見えないけれど)という地理条件にある松川の地の宗教的意味に思いを馳せる。ふつふつと研究意欲がかき立てられる。
 松川二十五菩薩像が安置されてきた収蔵庫環境の改善に向けての経過措置として博物館へ移送し、所蔵者との万全の信頼関係を築きつつ、緻密な調査に基づいて展示公開の機会を設け、これら仏像群を評価するための学術的位置づけを新たなステージに引き上げた同館と担当学芸員、市教委の取り組みは、地域博物館の機能(収集・保管・調査研究・展示)が十全に活かされたあるべき理想的な姿といえる。すばらしい。図録あり(16ページ、200円)。

達谷窟
 延暦20年(801)、坂上田村麻呂により創建され、鞍馬寺から毘沙門天を勧請し百八体安置したと伝承される。オーバーハングした岩壁に建てられた掛造の毘沙門堂には平安後期~鎌倉時代のものを始めとする大小の毘沙門天立像が30体ほどずらり並び壮観。大摩崖仏(岩面大仏)のほか、境内不動堂の丈六不動明王坐像(平安後期、県指定)、童子像(平安後期)も拝観。

中尊寺讃衡蔵
 秘仏一字金輪仏頂尊御開帳
(6月29日~11月6日)

 藤原清衡造営の中尊寺。金色堂と堂内の諸尊、讃衡蔵の目の眩むような文化財の数々を拝観し、別棟で一字金輪仏頂尊坐像(平安後期、重文)にまみえる。背面材のない半肉の大型の仏体で、玉眼を陥入し、懸仏と同様のスタイルで大円光に設置されたという特殊な安置方法について、奥行きを浅くしなければならない理由をぐるぐる考えるも容易に消化できず。厨子内の頭上には付属する天蓋も設置。『世界遺産 中尊寺』(中尊寺、2010)購入(128ページ、1000円)。

毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡
 藤原基衡造営の毛越寺見学。宝物館で仏像等を拝観してから、かつての大伽藍をしのびつつ広大な浄土庭園を巡る。続いて隣の、基衡妻造営の観自在王院を巡る。大阿弥陀堂・小阿弥陀堂跡地には平安時代後期の石造如来形坐像(科研報告書『東日本に分布する宗教彫像の基礎的調査研究-古代から中世への変容を軸に-』(2010年)に図版掲載されるが年代比定なし)。像高96.6㎝。最後に無量光院跡へ。金鶏山を背後に背負い、そこに太陽の沈む象徴的な場に、藤原秀衡が造営した阿弥陀堂。短時間ではあるが、平泉の核となる仏教遺跡を巡って、一関・平泉日帰り巡見終了。
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大河内智之

Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。

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