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豊橋市美術博物館「普門寺と国境のほとけ」鑑賞記

2月19日
豊橋市美術博物館
 普門寺と国境のほとけ
(1月21日~2月26日)

 三河・遠江の国境、弓張山地(湖西連峰)に確認される多数の古代・中世の寺院址群のうち、山系の南端に位置し、現在に法灯が継承される普門寺(梧桐岡院・船形寺)の文化財を中心に、古代の山寺から中世の山林寺院への転換の様相を、考古資料・文字資料・美術資料から叙述する。
 普門寺は旧境内の発掘調査により元々堂址(10c)、元堂址(12c)が把握され、久寿3年(1156)銘経筒、平治2年(1160)銘梵鐘(パネル・袋井市教委蔵)、そして永暦2年(1161)僧永意起請木札とその欠損部を補う江戸時代の写し(延宝7年・1679)といった豊富な文字情報から、平安時代後期に古代の山寺から地域の有力者の宗教的な結集核として山林寺院(里山寺院)化を果たしたことが復元されている(上川通夫『日本中世仏教と東アジア世界』、塙書房、2012)。
 展示ではこれら資料とともに、同寺の本尊聖観音立像(10~11c)と、12世紀に造像された半丈六の伝釈迦如来坐像(重文)、阿弥陀如来坐像(重文・パネル)、等身の四天王立像(重文)、不動明王二童子立像(県指定)が並び、これら仏像が、まさに寺のたどった歴史と期を一にして造像されたことを浮かび上がらせる。普門寺僧永意の名が銘記にあらわれる林光寺薬師如来坐像(重文、12c)も並び、転換期における普門寺僧の精力的な活動の足跡も提示する。なお四天王像のうち、構造・作風・邪鬼の違いをそこに見て多聞天像のみ先に単独で造像されたとの評価が示されているが、更なる議論が必要か。ほか彫刻では、普門寺客殿本尊の阿弥陀如来坐像(13c)、財賀寺宝冠阿弥陀如来坐像(県指定、12c)、赤岩寺愛染明王坐像(重文、13c)十輪寺地蔵菩薩立像(13c)と、優れた中世彫像を間近で鑑賞でき有益。
 豊橋市・湖西市の埋蔵文化財調査、愛知県立大学の学術調査、愛知県史編纂事業の成果の集大成であり、豊かな地域史の再発見と共有化を図る意義ある展示。図録(112ページ、1000円)のほか、豊橋市教育委員会『豊橋市埋蔵文化財調査報告書第140集 普門寺旧境内-考古学調査編-』(434ページ、3500円)あり。

普門寺
 展示を見てから現地を訪れ、その地理的環境を実感する。尾根のたわんで船底の形をした船形山麓に、仁王門、本堂、大師堂、弁天社、客殿が並ぶ。山中の旧境内には巨岩が露頭し250以上の平場がある由で、往古の隆盛のようすを心に描く。なお、仁王門そばの十王堂は雲谷村の村堂として管理され、近世の十王像(普門寺に天和2年(1682)の造像木札写あり)が安置されるが、同堂の宮殿形厨子に安置される朽損した僧形坐像は中世の作例のよう。
 普門寺の近隣、石灰石の巨大な塊がにょきっとそびえる立岩神社にも立ち寄り、こうした象徴的な岩塊が露頭する弓張山地が、古代の信仰の場として認識されたこと、そして境界地として位置づけられたことの理由に少し触れた気になる。
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大河内智之

Author:大河内智之
「観仏三昧」の主催者です。
和歌山県立博物館の学芸員です。
仏像の研究者だったりもします。

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